金属を叩いて延ばす

ブログがあまり得意ではない、長く続けばいいと思う、と開始したブログであるのに、いくらも書かないうちに半年ぶりの更新になってしまった。この間なにをしていたかというと、彫金を始めた。3月に体験教室に行き、槌目(槌で模様をつけること)の指輪をつくった。わたしは指が太く、市販の指輪はたいていサイズ直しをしなければ小指にしか入らない。自分でつくることができるとあまり体型を意識せずに済む(そういえば、以前小説の資料のために百貨店の歴史を調べていたとき、既製服の流通以前は「標準的な体型」というものが存在しなかったと読んだことがある。)というのは魅力だった。

学生の頃からシルバーアクセサリーは好きだったし、彫金に憧れはあった。作家もののアクセサリーを買いにギャラリーに足を運んだことだってあった。しかし、学生当時好んでいたブランドは撤退してしまったし、アクセサリーは好きだが、しじゅう身につけているとなんだか肩が凝ってくる。作家ものを購入し続けられるほど都会に住んでいないし、体型も変わったし、彫金を習う機会はそうそうない。そうこうしているうちにだいぶ時間が経過し、彫金を習いたかったということも忘れていたのだが、コロナ禍をきっかけに、「やりたいことはすべてやってから死にたい」と思うようになった。また、イシを見る機会が増えてルースも購入するようになり、これは自分でアクセサリーをつくれるようになった方が安いのではないか、安くはないにせよ楽しいのではないか。そういえば昔から彫金をやってみたいと思っていたではないか、と考えはじめた。すると、なんとか通える範囲に教室を発見したのだった。

体験教室で槌目の指輪をつくってからも、すり出し(ヤスリや糸鋸で模様をつけること)の指輪、冬の凍りついた湖のような色のアクアマリンのルースの嵌まった指輪などをつくっている。とても楽しい。

劇的に体質が変わったわけではないから、毎日着けていられるわけではない。鍛造(金属を叩いて延ばす製法)と鋳造(融かした金属を鋳型に嵌める製法)だと鍛造のほうがつけ心地がいい気はする。何より、金属を叩いて延ばすのは、楽しい。金属という、強固なもののかたちを自分で変えてしまうのは、罪深いような悦びがある。何よりわたしは、全く器用ではないが、単純作業の反復でなにかを形成する、というのがけっこう好きなのだ。

金属を叩いたり延ばしたりしていると一日が瞬く間に過ぎる。ブログを半年書いていなかったことに首を傾げている。