わたしのASDと『自閉スペクトラム症の人たちが生きる新しい世界』

ネットに書いているもの、そうでないものも含めて、わたしにはいくつかの精神的な持病や、それらに起因した経験がある。不安障害やうつ、数ヶ月車椅子を使用していた経験など。持病や経験はわたしそのものではないが、わたしを形成しているものたちである。Aスペクトラムであること、フィクトロマセクであること、ノンバイナリーであることもそうだ。

5月にWAISを受けて、ASDという診断が出た。グレーゾーンだということはもう少し前から判っていた。定期的に通院している精神科は学校に対応を求めなければならない児童で混雑しているため、カウンセラーを介して自費で受けることにした(担当カウンセラーが所属するカウンセリングルームは、数年前に精神科の主治医に依頼して紹介してもらった)。WAISの診断書を持って精神科に行き、めでたく診断が下ったのであった。

精神的な持病を有している状態が人生の半分を占めているため、別段おどろきはなかった。不安障害やうつは症状や状態に名前がついたものである。もっと根本的な原因、わたしの気質や傾向や特性といったものが社会と衝突していないのだろう、というのは以前から考えていたので、多少はすっきりした、とも思う。
思ったより傾向が強いようなのに、探り探りで、対症療法しか分からないまま、よくもまあ生きてきたなあ…と謎に感動してしまう。

そういうわけで、ASDとしての自我というものが芽生えて3ヶ月である。

ASD者のための、生活の補助についての本は数冊読んでいる。だが、もっと、わたしが感じている、発達特性と社会との関わりや衝突、摩擦について記した本を知りたいと思っていた。発達障害についての良書を出版している翔泳社から『自閉スペクトラム症の人たちが生きる新しい世界』という本が翻訳されると知り、注文した。非常に興味深く、1日で読み終えてしまった。人種差別・トランス差別、ASDの「生産性」にも触れ、(当然ながら)反対しており、心理的安全性も高かった。
本書は著者を含めて多様なASD当事者の声を紹介しながら、ASDの診断が「鉄道趣味などを有する」白人男性に偏ってきたと語る。なぜ非シス男性は、非白人は診断からこぼれ落とされてきたのか。医療と社会の問題、そして定型社会の中でASD者は自分を傷つけながら、定型者の仮面を被らざるを得ない。仮面を外すことは被差別属性の者にとっては生命の危険すらともなう。それでも、ASDを捉えなおし、可視化を図ろうと著者は本書で試みる。診断が出てから初めて読んだ、ASDと社会の関わりについて著された書物がこの本でよかったと思う。

自閉スペクトラム症の人たちが生きる新しい世界 Unmasking Autism(デヴォン・プライス 堀越 英美)|翔泳社の本 https://www.shoeisha.co.jp/book/detail/9784798184586