月: 2025年6月

花火(自分が)

・むなしさとともに目が覚めた。朝の支度をしているうちに元気になったけれども。

・減薬にチャレンジしていたのだが、6月に入ってなんとなく肌が痒かったりもぞもぞするようになったため、
もとの量に戻した。衝動性が戻ってきて、なんとなく、生活の苦手さがさらに増す。これってどっちが本当の自分なのだろう、などという問いには経験上、意味がない。

・20歳くらいの頃、精神的なエネルギーを持て余していたのか、さまざまなジャンルの漫画やアニメにハマっていた。松本零士作品、ガンダム、ドラマ、古く、謎めいた映画、手塚治虫作品…。一生をかけてハマりたくて首を突っ込んでは、ひと月くらいで心が移る。3日くらいしか浸かっていなかったこともしょっちゅうあった。その頃わたしの自カプのプレゼンに付き合わされた友人は、たまったものではなかっただろう。
(わたしとしては、幅広いことを、浅瀬に浸かる程度に知っていることにはその後助けられてもきた。)
・最近はそういう過剰さはわたしの中にはない。というか、わたしは一作品に心を寄せ続けられるほど気が長くない、ということに気がついてしまった。ひと月でジャンル移動というのは無くなったが、長くて3年くらいだと思う。昔よりは長いが、それはわたしのこころの速度が20歳の頃とは変化したからだろう。

・魔法の矢が刺さるようになにかにハマる。熱に浮かされて小説を書き、短歌を詠む。魔法はそのうち消えてしまう。初期衝動がなくても、書き続けることはできる。わたしの日々と精神を支えるためにやっていて、半分くらいは技巧で行っている。それでも3年は続かない。

・相手が実在するならば、相互の積み重ねを愛や結婚や日常と呼ぶのかもしれない。では、惹かれしかないこれは何なのだろう。
 わたしは、フィクトロマセクシュアルをやっている。

今日もどこが痛いかわからない・春琴抄

歯が痛い、気がする。
しかし昨日も一昨日もやすりがけをしまくったので、肩こり由来の頭痛や単発的な食いしばりの可能性もある。週末まで痛かったら週明けに歯医者行くか…。どうせ痛みに敏感なのだったら「どこ」が痛いのかサッと理解したい人生だった。

オーディオブックアプリをインストールする。これまで何回か試みるものの、なんだか合わない気がしてやめ…を繰り返していた。
昨夜たまたま谷崎の『春琴抄』についての記述を読み、なんとなく検索してみたら聴き放題に入っていたので、再生する。こんなに谷崎って面白かったっけ…。谷崎はわたしには聴くほうが合っているのかもしれない。陶然とするあまり、目が冴えてしまった。