花を購う

近頃、定期的に花屋に通っている。

これまで、供花のため以外で花を購入したことがなかった。それが、ちょっとしたきっかけがあり、自分のために花束を購入した。花器というものを全く所有していなかったため、購ったばかりの花束を抱えてアンティークショップで花瓶を購い求めた。

ちょうど今年、人形の撮影用に部屋に少しばかりのスペースを設けたため、花はそのあたりに生けている。写真に撮る。調子のいい時は人形と一緒に撮影することもある。ただ眺めているだけということもある。

花のある生活がこんなにもいいものだとは思ってもみなかった。つぼみが開くとそこだけ輝いているみたいだ。花のいのちは人工物や鉱物よりも短いけれど、わたしは自分のことも含めて、ケアというものが苦手と自認しているので、花を長く保たせることができると、なんだか嬉しい。

正直なところ、いつでも花の美しさを堪能する心の余裕があるわけではない。毎日あまり変化のない生活を送っているので、冬の初めに調子を崩したときには自分が日課をこなすだけの機械になった心地がした。花はありはしても鑑賞するゆとりがなかった。ただ、習慣にはなっていたので花屋に行き、目に留まった花を購入し、花瓶の水だけは毎日換えた。数日経って復調してくると、花が咲いていることのよろこびを感じた。

これまではなんとなく、蓮や椿やばらやラナンキュラスなど、なんとなく丸っこいかたちの花が好きだったのだが、一目惚れして張り込んで購入したなごり雪という胡蝶蘭があまりに可愛らしく、一気に好きになってしまった。小さい蘭で、胡蝶蘭といっても垂れ下がるように咲くのではなく、上方に向かった枝に添って花が咲く。花弁はうっすらと色づいた白、唇弁が桃色であるため、ぜんたいが薄桃がかったような印象を与える。散るときには花ごと散ってしまうが、鉢植えは咲き始めてから散るまで二、三ヶ月保ち、病気に罹ったり根腐れしなければ株の寿命は50年ほどもあるらしい。美しくて繊細で潔くて、同時に生命力が強い。最高に可憐である。