どうする家康を一年観た感想

基本的に、よほどのことがない限り、大河ドラマを視聴する習慣がある。母とその弟である叔父たちや母方の祖父母は、大河ドラマが始まったばかりの頃にテレビを熱心に観ていたひとたちで、僕は長期休暇のたびに祖父母の家を訪れていたから、観たこともない初期の大河に部分的に親しんでいた。「三姉妹」のメロディを三姉妹の名前「おむら〜♪おるい〜♪お雪〜♪」と節をつけて歌うだとか。幼い大石主税が「母上、沢庵を持って参りました」と言ったときのモノマネだとか。敷いた布団の電気毛布のスイッチを入れて「まだ温かい!」とそう遠くに行っていない吉良上野介を探しに行くマネをするだとか。赤穂浪士のネタが多いのは祖父母の家が播州にあったからである(僕は耐え忍ぶ期間が長い話が苦手なため、赤穂浪士もの自体はそれほど好きではない)。

今年も大河ドラマを1年観た。大鼠には最後まで半蔵の求愛を蹴り続けてほしかったし、茶々の初恋の相手が家康だと後からねたばらしされるのはどうなのかとか、不満は各処にあるのだが、おおむね面白く観た。

「どうする家康」はトキシック・マスキュリニティへの批判と、フェミニズムの視点が一貫して存在するドラマであったように思う。

僕が気に入っているのは前半の阿月やお葉のエピソードだ。「どうする家康」の、大河ドラマらしからぬ1話完結色の強い構成は、徳川家臣団のメンバーも、歴史に名前が残るわけではない女性の生命の重さも変わりはない、という世界観描写に一役買っていたように感じられる。それだけに、中盤からラストにかけてそういった単話型の女性のエピソードが減ってしまったことは寂しく思う。しかし、その構成が、家康の天下が近づくにしたがって、家康は瀬名が思い描いたような世界を望みながら、瀬名のような女性が天下の趨勢に関わるような世を遠ざけて行ったことを語っていたように感じられる(阿茶局は魅力的なキャラクターだったが、彼女が「男装する」女性だったことは象徴的だった)。

さて、家康の話だ。「どうする家康」の主人公家康は、白兎に象徴される、「弱い」人物だった。ずっと迷い続けていたし、覚悟のようなものを決めるまでかなり時間がかかるし、ブレるし、嫌々やってることも多いし、決断が早いわけでも、間違えないわけでもない(家臣たちはおよそ家康を舐めていた)。しかし、迷いがないというのは「男性らしい」格好良さだ。「どうする家康」はトキシック・マスキュリニティへの批判を込めた大河で、主人公はそういった既存の「格好良さ」を持たない。「どうする家康」が語りやすい格好良さを捨てて迷い続ける家康を描いたことを、僕は好ましく思う。

困ったことに、信長や勝頼や秀頼や信繁の空虚さは美しく、眩しい。僕たちが知っている「美しさ」だからだ。新しいトキシック・マスキュリニティ批判フィクションを受けとめるためには、既存のものではない言葉や、魅力を受容する受容体が必要なのだろう。