ブログをはじめるにあたって、あるいは一人称のこと

久しぶりに日記のブログを書きたい、と思っていた。小説サイトと短歌のブログはすでに別にあって、別々にしているのはややこしいから、そう遠くないうちに統合するかもしれない。仮置き場のようなつもりのまま案外続いてみるかもしれないし、三日で終わるかもしれない。

ブログを書くのが苦手だった。わたしが学生だった頃はちょうど個人サイトからブログの移行期だったように思う。芸能人はおよそブログで情報を発信していたし、日に何度も読みに行くようなブログがいくつもあった。わたしはほそぼそと運営している個人サイトにブログからリンクを貼っていた。大学では散文を書くための勉強をしていたにもかかわらず、ブログを書くのが苦手だった。論文のような文体にも、ブログで見かけるようになったかなの多い優しい印象の文体にも、絵文字の多い文体にも、しっくりこなかった。自分の文体ではない。小説なら書くことができたが、エッセイ風に自分のことを書くとなると、借り物だと思われて、ブログに対して挫折感があった。

それはおそらく、わたしは自分のことを書く時には必須の「わたし」という一人称に、心から馴染んだことがないことと関係していた。わたしの現在のジェンダー・アイデンティティはノンバイナリーで、思い返してみれば子どもの頃から出生時に判別された性別に馴染んだことなどなかったのだが(と、いうか出生前のエコー診断と出生時の判別が異なるということがあって、わたしは出生前に予定されたものと名前が一音変わっており、そんなふわっとした判別で人生の扱いが変わるってどないやねん、と思っている)、しかし、思春期の頃にジェンダーに関する情報というのは限られたもので、わたしは「中性的」であったり性を「越境」する存在に憧れはしても、自分がそうかもしれないとは考えもしなかったのだった。わたしは中学生のとき、子どもなりの悲壮な覚悟で、一人称をかなの「わたし」にすることを決めた。以来ほとんど「わたし」と言い続けているので、馴染んだわけではないが、癖にはなっている。あの頃本当は「僕」と言いたかったし、TPOによって一人称を分けるジェンダーということになっている男性が羨ましかった。

そういうわけで、このブログの一人称にはおそらくぶれが発生することと思う。ぶれさせたい、と思っている。続きさえすれば、の話だが。