きのうの日記で「頭の中の声」について書いたので、これについて書きたいと思う。
「頭の中の声」と書いたが、わたしの思考が音声の形式で聞こえることはほぼ、ない。
「考え」は、頭の中で、基本的に文字の形をしている。ルパン三世のサブタイトルのように高速で一文字ずつ現れることもあれば、殺し屋1の映画版のエンドロールのように横向きや縦方向に文字が流れていくこともある。脳みそが過活動な状態だと、横向きに流れていく文字と縦方向に流れていく文字が重なる部分が十字になったりする。
いつもというわけではないが、何かできごとがあると、だいたい自動的に二種類の「考え」が浮かぶ。
Aはほとんど反射だ。衝動的で、喧嘩っぱやく、暴力的だ。
Bは即座にAを押し留めようとする。倫理や理性とも言えるが、内面化した規範でもある。わたしの人格に近いのは、どちらかというとBである。
たとえばニュースを観ていると、
A「絶対に許せない!暴力もやむを得ない」
B「暴力はいけない!」
といった感じだ。
Aの「考え」が浮かぶことを、わたしは抑えることができない。BはAが喋るとほぼ自動的に出現する。Bはわたしの人格に近い存在でありつつ、完全に制御しているわけでもない。だからどちらも、「声」のように感じている。
AとBは双方ともに極端だ。両者を統合する必要があることも多い。
「わたし」はAとBとの落とし所をつけ、現実的な手段について考える。あとから現れる「C」だとも言える。CはABほど自動的ではない。意識的に「考えている」ことだ。
というのがわたしの基本的な「思考」の流れである。
漫画でたまに見かける「天使と悪魔」やモノローグの葛藤って、こういう思考経路を表現したものと思っていた。人間がこういう思考経路を辿るわけではないと知って、新鮮に驚いている。どおりでなんかわたしが「遅い」わけである。多いんだよな…なんか、途中で挟まるものが…。