差別に反対することと、社会的正義を信じることと、のたうちまわりたいほどのみじめさや不安や恐怖がまとわりついていることは矛盾しない。わたしは主観的には、それなりに不幸だと思っている。ほぼ毎秒、やってられない。だが、不幸を手放すつもりはない。これはわたしよりはるかに生存に困難を抱える人間、今まさに死につつある人間が多数存在するというのは別の話だ。わたしの周りに大切な人がいることとも、別の話だ。
わたしは、不幸を比較して悦に入ったり忍耐を自分に強いたりするのが、もう嫌なのだ。わたしは「◯◯よりはマシ」と思い込もうとして、自分の傷を浅く見積もっては精神状態を悪化させるということを繰り返している。もうやめたい。
交差性の否定ではないつもりだ。交差性を受け入れるために、自分くらいは自分を不幸だと受容することが、わたしには必要だと思う。
このような不幸論のもとではドナルド・トランプのような権力者に最優先されることは、邪魔であると考える。トランプは一部の人間を擁護しているようでいて、不幸を感じる精神に介入している。