戸棚の奥の食器を取ろうとして、腕をぶつける。べつに余所見をしていたわけではないのに。そういうことがしょっちゅうある。
定型者も小指を棚にぶつけることなどはあるらしい。でもたぶん、同年代で平均値が割り出せるとしたら、わたしは体をどこかにぶつける回数が多いほうだろう。注意力散漫というか、散漫な面もあるのだが、肉体と魂・意識などと呼ばれるものがつねにズレている。
大好きな映画「ヒドゥン」の、人間の内部に寄生し、ぎこちなく肉体を動かすエイリアンのような。「超人間要塞ヒロシ戦記」の、青年ヒロシが実は極小のヒト型生物が操縦する要塞のような。ああいう「ヒトの姿をしているが、中身は違う」イメージのSFは、わたしにとって、体感としてリアルだだ。
そんな感じだから、「地に足がつく」という言葉が実感として理解できる気がしない。そして、なんとなく、その言葉が厭だ。重力と肉体を意識し一致させるべき、というのが。
森茉莉のエッセイが好きだ。包丁は苦手らしいが煮炊き中心の料理は得意であったり(本人談)、度を超した着道楽であったり、テレビに文句を言ったり、日常を送っているのだが、どこか、ズレたような感じがある。
森茉莉は決して広くない部屋を、美意識で上書きしている。
そういう生活を送りたいよな、と思う。
わたしは切り抜きを肖像画だと思って暮らしたいし、雑然と本を詰め込んでいるだけの本棚を書庫や書斎と呼びたい。
最近、そういうことをよく考えている。
自分が「ここ」から少しずれていることを、こころよく感じるための方法。反生活の魔術と呼んでいる。