月: 2023年12月

2023年劇場で観た映画

今年は劇場で映画を3本しか観れていない。映画館で映画を観る、ということは好きなのだが近場にはないし、広い閉所が苦手だし、ほぼ過集中を起こして頭痛を発するので、おそらく体質的に向いていない。好きなことが向いているとは限らない例だ。本当はもっと映画を観に行きたい。ゴジマイもゲ謎もトットちゃんも観たかった。気になっている配信作品も全部追いかけたい。

それでももっと劇場での映画鑑賞のハードルが高い人は確実にいて、そのことを絶対に忘れたくないと思っている。自分の部屋から一歩出ることも怖かった日のことだとか、10年以上前に大腿骨を骨折して数ヶ月入院し、車椅子を使っていたときのこと。映画館で最前列しか用意されていない車椅子スペースを見たときの、やるせなさ。劇場の映画どころかテレビの光の明滅で発作を起こすひとがいること。

劇場で観た3本というのは「シン・仮面ライダー」と「岸辺露伴 ルーブルへ行く」「首」の3本だ。鑑賞後に「わざわざ来なきゃ良かった」と落ち込むような作品はなかった。そういう意味では、いい一年だったな…と思う。

「シン・仮面ライダー」の本郷猛が縁川ルリ子との関係性を「信頼だ」と言い切ったところは本当に心が震えたし、「首」の男性同性愛がはっきりと描写され、ホモソーシャルをどうしようもないものとして描いているところも好ましかった。「首」の秀吉は従来描かれるような人たらしではなく、コミュニケーションを弟の秀長にかなり依存していており、決して政治的に際走った人間ではない秀長の没後に豊臣家が斜陽を迎える予感がある。今までにある描かれ方ではないのだが、人間としての手触りのある秀吉だった。

シンライダーはドキュメンタリーを観ると撮影環境が不安になってくるのでこういう撮り方はしないでほしいだとか、首…KADOKAWA…だとか、全面的に気分良く映画チケットを買えていたわけでもないのだが。それでも決して、悪い一年ではなかった。

どうする家康を一年観た感想

基本的に、よほどのことがない限り、大河ドラマを視聴する習慣がある。母とその弟である叔父たちや母方の祖父母は、大河ドラマが始まったばかりの頃にテレビを熱心に観ていたひとたちで、僕は長期休暇のたびに祖父母の家を訪れていたから、観たこともない初期の大河に部分的に親しんでいた。「三姉妹」のメロディを三姉妹の名前「おむら〜♪おるい〜♪お雪〜♪」と節をつけて歌うだとか。幼い大石主税が「母上、沢庵を持って参りました」と言ったときのモノマネだとか。敷いた布団の電気毛布のスイッチを入れて「まだ温かい!」とそう遠くに行っていない吉良上野介を探しに行くマネをするだとか。赤穂浪士のネタが多いのは祖父母の家が播州にあったからである(僕は耐え忍ぶ期間が長い話が苦手なため、赤穂浪士もの自体はそれほど好きではない)。

今年も大河ドラマを1年観た。大鼠には最後まで半蔵の求愛を蹴り続けてほしかったし、茶々の初恋の相手が家康だと後からねたばらしされるのはどうなのかとか、不満は各処にあるのだが、おおむね面白く観た。

「どうする家康」はトキシック・マスキュリニティへの批判と、フェミニズムの視点が一貫して存在するドラマであったように思う。

僕が気に入っているのは前半の阿月やお葉のエピソードだ。「どうする家康」の、大河ドラマらしからぬ1話完結色の強い構成は、徳川家臣団のメンバーも、歴史に名前が残るわけではない女性の生命の重さも変わりはない、という世界観描写に一役買っていたように感じられる。それだけに、中盤からラストにかけてそういった単話型の女性のエピソードが減ってしまったことは寂しく思う。しかし、その構成が、家康の天下が近づくにしたがって、家康は瀬名が思い描いたような世界を望みながら、瀬名のような女性が天下の趨勢に関わるような世を遠ざけて行ったことを語っていたように感じられる(阿茶局は魅力的なキャラクターだったが、彼女が「男装する」女性だったことは象徴的だった)。

さて、家康の話だ。「どうする家康」の主人公家康は、白兎に象徴される、「弱い」人物だった。ずっと迷い続けていたし、覚悟のようなものを決めるまでかなり時間がかかるし、ブレるし、嫌々やってることも多いし、決断が早いわけでも、間違えないわけでもない(家臣たちはおよそ家康を舐めていた)。しかし、迷いがないというのは「男性らしい」格好良さだ。「どうする家康」はトキシック・マスキュリニティへの批判を込めた大河で、主人公はそういった既存の「格好良さ」を持たない。「どうする家康」が語りやすい格好良さを捨てて迷い続ける家康を描いたことを、僕は好ましく思う。

困ったことに、信長や勝頼や秀頼や信繁の空虚さは美しく、眩しい。僕たちが知っている「美しさ」だからだ。新しいトキシック・マスキュリニティ批判フィクションを受けとめるためには、既存のものではない言葉や、魅力を受容する受容体が必要なのだろう。

ブログをはじめるにあたって、あるいは一人称のこと

久しぶりに日記のブログを書きたい、と思っていた。小説サイトと短歌のブログはすでに別にあって、別々にしているのはややこしいから、そう遠くないうちに統合するかもしれない。仮置き場のようなつもりのまま案外続いてみるかもしれないし、三日で終わるかもしれない。

ブログを書くのが苦手だった。わたしが学生だった頃はちょうど個人サイトからブログの移行期だったように思う。芸能人はおよそブログで情報を発信していたし、日に何度も読みに行くようなブログがいくつもあった。わたしはほそぼそと運営している個人サイトにブログからリンクを貼っていた。大学では散文を書くための勉強をしていたにもかかわらず、ブログを書くのが苦手だった。論文のような文体にも、ブログで見かけるようになったかなの多い優しい印象の文体にも、絵文字の多い文体にも、しっくりこなかった。自分の文体ではない。小説なら書くことができたが、エッセイ風に自分のことを書くとなると、借り物だと思われて、ブログに対して挫折感があった。

それはおそらく、わたしは自分のことを書く時には必須の「わたし」という一人称に、心から馴染んだことがないことと関係していた。わたしの現在のジェンダー・アイデンティティはノンバイナリーで、思い返してみれば子どもの頃から出生時に判別された性別に馴染んだことなどなかったのだが(と、いうか出生前のエコー診断と出生時の判別が異なるということがあって、わたしは出生前に予定されたものと名前が一音変わっており、そんなふわっとした判別で人生の扱いが変わるってどないやねん、と思っている)、しかし、思春期の頃にジェンダーに関する情報というのは限られたもので、わたしは「中性的」であったり性を「越境」する存在に憧れはしても、自分がそうかもしれないとは考えもしなかったのだった。わたしは中学生のとき、子どもなりの悲壮な覚悟で、一人称をかなの「わたし」にすることを決めた。以来ほとんど「わたし」と言い続けているので、馴染んだわけではないが、癖にはなっている。あの頃本当は「僕」と言いたかったし、TPOによって一人称を分けるジェンダーということになっている男性が羨ましかった。

そういうわけで、このブログの一人称にはおそらくぶれが発生することと思う。ぶれさせたい、と思っている。続きさえすれば、の話だが。